羽曳が丘のはじまり
昭和36年、大和ハウス工業は他3社とともに、日本初の本格的民間デベロッパー・大和団地株式会社を設立。翌年には羽曳野市(大阪府)の南西部にて造成に着手し、「羽曳野ネオポリス」と名付けられた大規模住宅団地の販売が開始されました。
39年春から入居が始まりましたが、秋までに200戸の入居が完了し、自治会の連合会が組成されるというスピーディーさでした。
現在の「羽曳が丘」という名前が入居者からの募集で決定されたのも、この年です。

大和団地は、緑豊かな郊外住宅地を作り上げるため、39年秋に500本、40年春にはさらに500本の植樹を施します。一方、「まだまだ緑が足りない」という声が挙がり、住民からも植樹の寄贈が多くあったようです。
また、大和団地は噴水やテニスコートも寄贈し、「住民の娯楽のために」とプールの建設も行いました。
こうして大和団地は、街づくりに意欲的に取り組む住民の方々と協力し、住環境を整えていきました。
家が建ち、人が増え、道路が整備されてバスが通り、やがて学校や幼稚園ができ、生まれたての街は東西南北へどんどん広がっていったのです。

羽曳が丘の更なる魅力創出のために・・・
そうして生まれた羽曳が丘は、自治会や連合会の活動により成熟した理想的な住宅街へと発展していきました。
街のコミュニティ活動は特に活発で、なかでも書や絵画、陶芸、日舞、ダンスなど多くの出し物が彩る「羽曳が丘文化祭」は、平成28年には第45回目の開催になりました。
羽曳が丘は、9丁目、10丁目と街が広がっていき、新しい方々が住民に加わり、さらに賑やかになりました。
その一方で、羽曳が丘の開発初期に入居された方々の高齢化や空き家の増加、家屋の老朽化などの課題も抱えています。
羽曳が丘の歴史の始まりからともに歩んできた大和ハウスグループとして今思うことは、何かお役に立てることはないか?ということです。
中古住宅の再生は今注目を集めており、大和ハウスグループで力を入れている取り組みのひとつです。私たちの手で再生させてください。空き家がありましたら、最適な管理サービスをご用意しております。小さな修理から大掛かりなリフォームまで、何でもお任せください。
羽曳が丘のより一層の発展に貢献できるよう、大和ハウスグループの大和ハウスリアルエステートは精一杯尽力させていただきます。
