かわにし大和団地かわにし大和団地

歴史

1961年、大和ハウス工業は他社と協同で、
日本初の本格的民間デベロッパー・大和団地株式会社を設立しました。
翌年、大規模住宅団地ネオポリス第1号である「羽曳野ネオポリス」(大阪府羽曳野市)の造成に着手、その後も
次々と大規模住宅団地の開発に着手し、ネオポリス第5号として「大和団地(阪急北ネオポリス)」が誕生しました。
「ネオポリス」とは、ギリシャ語のneo(英語のnew)、ギリシャの古代都市国家polisを
組み合わせてつくられたことばです。
住宅需要増のまっただなかである1960年代、計画からわずか約半年で設立に至った大和団地株式会社。
そして、会社設立から間もなくネオポリスのような大規模住宅団地を開発できたのは、
都市づくりに奔走した起業家たちによる、純粋な熱意の結果だったのです。

大和団地のはじまり

大和団地(阪急北ネオポリス)の歴史は1963年から始まります。
当時の兵庫県川西市は、違法建築の横行、無規則な住宅建設に悩まされており、その波は中部から北部へと及ぶ勢いでした。
そこで、大規模で計画的な街を開発すれば、そのような無規則な建設
は避けられると市長が判断。
1963年に川西市長から大和団地株式会社に住宅地開発の誘いがあり、
1965年に造成着手する運びとなりました。

しかし開発の半ば、様々なトラブルに見舞われました。
川西市下は、”0.5ha以上の開発については、上下水道施設や小学校をはじめ、他施設の新設と拡張の整備費の負担を定める”といった内容の住宅地造成事業に関する指導要綱が発表されたり、市長が替わったことにより前市長との約束が果たされなくなったり…円滑に計画がすすまないこともありましたが、地元の方々の多大なご協力もあり、無事完成へたどり着いたのです。

大和自治会のあゆみ

そうして誕生した大和団地(阪急北ネオポリス)に、間もなく大和自治会が結成されます。
大和自治会は住民の皆様の様々な要求を関係各所に伝えるため、窓口となり交渉役となった結果、さまざまな実績を残すこととなりました。
住民の生活の質が向上したのはもちろん、現在も住宅地開発のモデルケースとして用いられる「川西方式」を生み出したのも、この大和団地の大和自治会なのです。
「川西方式」とは…住宅地形成にともなって必要になる公共施設を整備する費用は市財政にとって大きな負担となるため、建設会社に施設建設の費用を一部負担してもらうという方法。さまざまな条例を整備し実施したこの方式は、全国の自治体に大きな反響を呼びました。

住民のために活動する自治会、そして大和団地(阪急北ネオポリス)をより良いまちにしようと住民の皆様が力を合わせて様々な困難を乗り越えてきた過去があるからこそ、地域の結びつきが強く、平和でのびのびとした環境へと成長しました。
豊かな自然のなかにありながらも大阪梅田まで直通アクセス可能な利便性、
すっきりとした住環境、大人もお子さまも楽しめる多彩な地域イベントなど、
いろんな表情を持つ大和団地。

売りたい・買いたいはもちろん、小さな修理から大掛かりなリフォームまで、
なんでもお気軽にご相談ください。
大和団地を生み出し、寄り添って歩んできた大和ハウスグループの一員である
大和ハウスリアルエステートが、皆様の夢を叶えるお手伝いをします。

  • 1961年
    大和ハウス工業株式会社が他3社とともに大和団地株式会社を設立

    兵庫県川西市長から大和団地の住宅地開発の誘い(1963年)

  • 1965年
    大和団地(阪急北ネオポリス)の造成第1期に着手

    大和団地 分譲開始(1966年)

  • 1968年
    大和自治会 結成

    大和商店会 発足(1969年)

  • 1974年
    大和団地(阪急北ネオポリス)の全体の開発が完了

    第1回 イルミネーション「大和夢ナリエ」開催(1994年)

  • 1997年
    能勢電鉄「日生中央」駅から阪急「大阪梅田」駅まで直通の「日生エクスプレス」が運行開始
  • 2001年
    大和団地内循環バスが開通

    安全パトロール隊 発足(2004年)

  • 2015年
    川西市が大和自治会を「認可地縁団体(※)」として承認(※)認可地縁団体
    一定の手続きのもとに市長に申請・承認され、法人格を取得した自治会等の団体のことをいいます。団体名義で不動産等の登記が可能です。
  • 2017年
    大和自治会 設立50周年